躁と躁鬱の違い:頑張らない
201. 冲永荘一先生の爽やかな死(私の二度目のはたち)
2008年10月27日(日曜日)午後3時30分から青山葬儀場で、帝京大学グループ「学主」。故冲永荘一先生の葬儀が行われた。 私は、地下鉄「乃木坂」の駅で、岡田啓介先生と出会い、連れ立って会場に向かった。 葬儀委員長:帝京グループ学長・理事長冲永佳史:喪主、冲永恵津子:帝京科学大学学長・冲永荘八(敬称略)。私は、建物と天幕の椅子席に入りきれない人々約1000名、17列の露天の立ち席に入る。 定刻どおり僧侶の読経とドラの音。導師の「喝」の引導が響いた。親族の焼香。弔電の紹介に続いて、招待客の焼香、政治家、日テレ、三菱銀行、医学会、友人の5人のお言葉。導師の退場で1時間が過ぎ。露天の立ち席の人々が疲れた頃、葬儀から告別式の切り替えのため10分ほどの休憩。私の焼香。辺りは全く暗くなった。(翌日の月曜日のこの時間帯には、烈しい雷雨と大粒の雹が降った。)/ 7時から帝国ホテル3階で、ゆかりの人1000名程が集まって「告別の宴」が始まった。私は招待からもれていたが、荘一先生の最後を見届けたいと思い参席した。後継者お二人のお言葉。主治医の詳細な(医学的)説明、先生の人柄を彷佛させる友人の証言、「膵臓がん」の峻烈な最後。荘一先生の医師としての「死の向かえ方」。「白ワイン」の献杯。そうした「シナリオ」「監督」役の陰の演出者はご本人だった。陰で支えた事務職員の見事な連携。人々を育てた、故秀野事務局長の笑顔が頭をよぎった。岡田先生は、私が板橋の医学部から八王子の女子短大の秘書科の兼担になった1972年(36年前)から、2001年の停年迄29年間、文字どおり苦楽をともにした仲間である。この日は、帰りの電車で新宿まで御一緒した。
「死は誰にでも必ず訪れる、普遍的かつ絶対的な事実である。ハイデガー(1889-1870)がいみじくも定義したように、人間は「死への存在」であり、この世に生を享けた瞬間からつねに死に向けて歩み続けている。したがって私たちは人生において、いつかは身近な人々の死と自分自身の死に直面せざるをえない。/ 人間の死に方には二つの可能性がある。(中略)その一つは、たとえ肉体が衰弱しても精神的・人格的に成長をとげ、『人間全体としては上昇のプロセスをたどって死に至る』もので、真に人間らしい尊厳に満ちたものである。/ 己の死を主体的に受け止め、人間的な死として全うするためには、次の二点に留意する必要がある。第一に人間は自分が死すべきものであることを知り、死が迫りつつあるときには、意識してこれに立ち向かうことができる。第二に、人が一回限りの生を有意義なものとするためには、死もまたその人だけのかけがえのないものとして全うされなければならない。(拙著『看護学生の生命倫理』平成20年度版、アルフォンス・デーケン編集、メジカルフレンド社から収録)
荘一先生との出会いは、恩師、藤井良知先生が初代の小児科主任教授・副院長になられた1972年(36年前)にはじまる。医学部の創設。私は、1966-68:西ドイツ・ミュンスター人類遺伝学研究所(主任:レンツ教授)留学し、1971年サリドマイド裁判の原告側の証人となった。レンツ先生も原告側の証人となって来日。その時、荘一先生は、私たち(レンツ・藤井両先生、私)を料亭に招待して下さった。10年かかって、板橋帝京大学医学部の「小児科」の形ができる。K先生A先生の事件。1979に(八王寺キャンバスで医療秘書科が出来)私は、帝京女子短大教授兼坦 。1998:帝京大学短期大学教授、情報ビジネス学科担当となり、2001:停年退職。帝京大学短期大学名誉教授で退職。
しかし、私たちの関係は、それで終わらなかった。平成17年頃、自宅に直接荘一先生から電話があり、「新しい学科」(障害児の心と体)をつくるために、教壇に立つよう要請され引き受けた。一言でいえば、私の二度目の「はたち」である。三歳若い「荘一先生」は、急いで「爽やかな死を迎え」黄泉路の世界に旅立ってしまった。「死者は歳をとらない」うらやましい。
私は77歳の喜寿を越えて、「タイムカプセル」に乗って、「半世紀若い、はたち」の学生の前で、自前で<愚かな教師>を演じている。 2008.10.29.
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202. 地道な理論的研究が支えている、科学・宗教。
◎ 宗教の世界でも地道な研究が支えている:
「今に残る厖大な心のデーター」
科学の歴史では、ダーウインとかアインシュタインとか、誰でも知っている天才ばかり目につくので、こういった人がドカンドカンと、一挙に科学を立ち上げてきたようにも見えるが、実際はそうではない。数えきれない大勢の人たちの、地味で着実な仕事が集積し、熟成したところへ、異能の天才が現れて、それらの素材を一挙にまとめあげて新理論を作る、そんなかたちで科学は進んできた。(ヒトは誰でも<子どもっぽさ>を動機として、<大人の見方>へ進むものだ) 土台となる細かい素材がなければ、たとえ天才でも、独力で道を開くことなど出来ない。明解で魅力的な理論も、背後には、それを支える煩瑣(はんさ)な情報の山が必ずあるのだ。
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実は仏教も同じだ。釈迦や、その弟子たちが、実際に修行ををしていく中で発見した「心の構造」は、膨大なデータとして記録されている。それは「アビダルマ」と呼ばれ、一生かかっても読み切れないほどの量が今も残っている。「一般にはほとんど知られていないが、「法則性によって成り立つ世界の有り様を、合理精神によって書き記した宗教書」という、世にもまれな資料である。
そこには、心の構成要素、因果の法則、悟りの道筋などが、非常に精密に解説されている。昔は、見識ある僧侶ならだれでも勉強したものだが、今はすっかり色あせ、専門家しか扱わない。
あびだるま:阿毘達磨」[仏](梵語abihidharrma)仏の教説を理論的にまとめたもの。主に部派仏教の論書を指す。三蔵の一。論。阿毘雲。アビダルマ。「---倶舎論」
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しかし、たとえば「色即是空(しきそくぜくう」といったフレーズphraseにしても、アビダルマの知識なくしては正しい意味はつかめない。短い文句の背後にも、巨大なアビダルマ体系の情報の山が控えているのである。
近年、こうした短い標語に勝手な解釈をつけて、「これが仏教だ」と主張する傾向があるが、その原因の一つはアビダルマに対する無知である。基礎データなしで宇宙物理学を語るようなものだ。根拠もなく、短絡的に「宇宙とはこういうものだ」などと言い出せば、個人の独断ばかりが並ぶことになるのは当然だ。 仏教も科学と同様、堅実なデータに基づいて成り立つ世界だということを、ぜひ知ってもらいたい。(佐々木閑、花園大学教授)(朝日新聞、夕刊、2008.,10,16.、4版、p10.)
○「現代用語の基礎知識2008.」の抜粋:
1. 官僚主義:bureaucracy、(行政)ビューロクラシー。通常ピラミッド型の官庁組織を指すが、広義には民間企業も含め単に大規模組織の意味でも使われる。M.ウエーバーは、官僚制の持つ合理性・能率性・専門性・計算可能性などの生理面に注目したが、無責任・非能率・形式主義・秘密主義など組織の病理面を指すことも多い。また特権的官僚集団が政治の実験を握り、市民的自由が侵害される官僚政治の意味にも用いられる。
2. マスコミ:マスコミニケーション:大量の情報が一方向的に一般大衆に向けてまき散らかされる社会現象を指す。マスメデアとはマスコミニケーション現象を仕掛ける機構体。新聞・テレビなどは高度情報技術を駆使する、複雑に組織された専門家集団であり、司法、立法、行政と並ぶ第4の権力と呼ばれる。
3.ぐる:(わるだくみなどの)仲間。共謀者。(広辞苑)
感想:この二つの権力が「ぐる」になって、「市民生活」を守る民主主義を壊している。
2008.10.30.
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203. 東京で子どもが産めない、育てられない。
生まれる前の子供たちがこの世に降り立つべく、船に乗る。生まれたら、お前は何の職につくかい? 「時」の番人が尋ねる。メーテルリンクの「青い鳥」である。◆ 「時」の番人だから未来はお見通し‥‥と思えばそうでもない。医者になると告げた子供に文句を言った。「もうたくさんなのに。地上は医者でいっぱいなんだ。」(堀口大学訳、新潮社)
◆また医師不足の悲劇である。脳出血を起こした都内の妊婦(36)が七つの医療機関で受け入れを断られ、出産後に死亡した。赤ちゃんは無事という ◆最終的に受け入れた都立病院は24時間どんな患者も診る救急病院、いわゆるER(emergency room救急施設)である。そこでさえ産科の当直医は一人でいったんは受け入れを断った。ERの仏を作っても医師と言う魂が入らなければ、悲劇はまたどこかで繰返すだろう。医療改革は一刻の猶予もならない。 ◆翻訳者の詩人、堀口大学は物ごころつかぬころに母を亡くしている。「母の声」という詩がある。<三半規管よ/耳の奥に住む巻貝よ/母のいまはの その声を返せ>。その赤ちゃんもいつの日か、同じ言葉を自分の耳に語るだろう。(読売新聞2008.10.23.p1. 編集手帳:)
まとめて産婦人科というが、産科と婦人科の空気はかなり違うらしい。祝福と闘病、病院によっては二つが同居する。禅艘の僧から医師になった対本宗訓(つしもと・そうくん)さんが、臨床実習での体感を近著に記している。「まさに生死病死が混在して、双方とまどいもあるのでないかと傍目に思うことがある。」『僧医として生きる』春秋社) ▼同じ苦しみでも、お産は「生」の営みだ。ところが産科医不足のために、痛くもうれしいその瞬間が昔とは別の意味で「命がけ」になりつつある。大東京の真ん中でも、と嘆息する。 ▼脳内出血の妊婦(38)が八つの病院に受け入れを拒まれ、なくなった。最初に断った都立病院は、妊婦に緊急対応できる施設に指定されている。なのに産科医は定員に満たず、週末の当直は1人体制だった。 ▼満床などをなどを理由に拒否した他院も有名どころだ。首都の夜、女性を守るべき駆け込み寺が、豪壮な門を閉ざして並ぶ図が目に浮かぶ。寺の担い手が足りなくては話にならない。医学生が産科を敬遠するのは、きつい勤務と訴訟リスクゆえと聞く。ストレスの中では祝福も色あせよう。 ▼僧医の対本さんは「僧侶は広く『いのち』を説き、医師は個々の『命』を扱う。どの生命も大きないのち、つまり縦横無尽のネットワークの中で生かされているのです」と語る。「いのち」が表わす支えあいの輪が、いま危ない ▼無事だという赤ちゃんは後年、生を賭した母に何を思うのか。小さな命を送りだし、一つの命が消えた。どちらの命も、救急医療体制の存在理由、いのちを問うている。(天声人語:朝日新聞2008.10.24.金曜日、14版、p1)
○ マスコミ:(現代用語の基礎知識2008年)マスデイア)mass media (メデアと社会)マス・コミニケーション、mass communication とは、大量の情報が一方的に一般大衆に向けてまき散らされる社会現象を指す。マスメデアとは、マス・コミニケーシオン現象を仕掛ける機構体。新聞、テレビなどは高度情報技術を駆使する、複雑に組織された専門家集団であり、司法、立法、行政と並ぶ第4の権力と呼ばれる。マスコミニケーシヨンはマスコミと省略されることが多いが、省略されると意味が変り、マスメデアと同じ意味で用いられることには注意を要する。ミニコミに対してミニコミ、マスメデイアに対してパーソナルメデアなどの用語があるが、多メデイア時代、デジタル化の中でその概念の区分があいまいになりつつある。
○ 官僚性:ビユーロクラシー。通常ピラミッド型の官庁組織を指すが、広義に民間企業も含め単に大規模組織の意味でも使われる。M・ウエーバーは、官僚制の持つ合理性・能率生・専門性・計算可能性などの生理面に注目したが、無責任・非能率・形式主義・秘密主義など組織の病理面を指すことも多い。又、特権的官僚集団が政治の実験を握り、市民的自由が侵害される官僚制時の意味にも用いられる。
○平成5年「医師国家試験出題基準」から、「小児科」の科目が削除された。(その前から「産科」はなかった。)その理由を厚生省健康政策、古市圭治課長は次のように書いている。「医師国歌試験は、昭和21年に第一回が実施されて以来、数次に亘る改革を経て現在にいたっている。昭和52年最初の国家試験出題基準が定められ、それ以来、出題基準は大むね年毎に改定されている。昭和63年の改定では、内科、外科、小児科の3科のみが、医学各論として出題基準の上で統合され、平成4年2月、医学総論と医学各論の二本柱によって示すことになった。」○ 妊婦死亡:(朝日新聞:2008.10.23:p3.社説)の結論は、急ぎ過ぎて軽すぎる。この問題は、その後連日のように新事実が浮かんで問題の深さを示しつづけている。その一端を紹介した。2008.11.2
2008年11月 2日 (日) 日記・つぶやき・コラム | 固定リンク
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204. 躁うつとつきあうこつ:頑張り過ぎない
「躁うつと付き合うコツ」前兆見逃さず薬を根気良く、
(朝日新聞2008.11.9.13版p34.医療、心の科学(2))
うつ状態と躁を交互に繰り返す双極性障害(躁うつ病)は、うつ病とは別の病気で、治療法も異なる。周囲に迷惑をかけ、信頼関係を失うこともある。予防薬をきちんと飲みながら自分の症状を知り病とうまく付き合うコツをつかむ必要がある。(和田公一、長野剛)
双極性障害の患者が、普通の状態から躁状態に移行することを「躁転」という。多くの患者は「いつの間にか躁になっていた」と振り返る。
神奈川県小田原市に住む会社員寺沢真さん(48)は、昨年12月、2度目の躁転を経験した。仕事が忙しく「このままではうつを再発する」と思い予防のための休職を申し出た。ところが「休職の間に自己開発を」コンピュータの講習会などに通っているうちに、躁になってしまった。
各種セミナー、勉強会に参加し、一晩中知り合いに電話をかける。家族に次々と携帯電話をプレゼントし、新車も購入。さらに毎晩のようにインターネット通販で本やパソコン関連機器を買いあさった。支払は複数のクレジットカード。あっという間の500万円の借金ができた。
躁状態を過ぎると心と体が疲れ果て、ある日突然、奈落の底に落ちるようにうつになる。ただ今回寺沢さんはうつの代わりに、全身の激痛を感じ動けなくなった。今年1月、中国へ観光旅行に出かけるため成田空港に着いた直後のことだった。
寺沢さんは躁状態のことをよく覚えているという。「頭の回転が速くなり、インスピレーションがわき出る感じがして気持がいい。眠らなくても平気で、何でもできてしまう気持になる。お金も簡単に返せると思ってしまう」と寺沢さん。「一方で、みじかな人に対してうたぐり深くなったり、攻撃的になったりする『なぜ自分の邪魔をするのか』と思ってしまう」
躁状態の時に自分がやってしまったことを後悔することで、今度はますますうつ状態が深刻になっていく。8年前に経験した1回目の躁転とその後のうつの過程で、寺沢さんは妻と二人の娘との家庭を失った。睡眠剤を大量に飲んだが死にきれず、自分の首に包丁を当てながら妻に殺して欲しい」と頼んだのが決定打となった。3カ月の入院の跡、離婚した。寺沢さんは「この病気は家庭を破壊することもあるのです」と言う。
□◇○□負担ない暮らしを□◇○□
治療で最も大切なのは、再発予防という。躁状態だと本人は調子が良いつもりだが、周囲を困らせていることが多い。再発を繰り返し、社会的信用や家族との信頼を失うためだ。その予防には、長期間にわたる薬の服用が必要だ。
国立精神・神経センター精神保健研究所の社会復帰相談部長で精神科医の伊藤順一郎さんは、患者一人ひとりが対処法をつかもうと呼びかける。具体的には(1)躁とうつの症状落差をできるだけ小さくする(2)と感情の波が大きく変化する前兆を見つける(3)終でも鬱でもない普通の状態を長く保つ----などだ。
(1)のためには、処方される感情調整薬などをきちんと服用する必要がある。(2)では、例えば睡眠に着目。3日続けて眠れなくなったら主治医に相談するなど、自分なりのラインを見つける。(3)を達成するには、身体的にも精神的にも無理な負担がない暮らしを心がける。
伊藤さんは、双極性障害の患者の体験談を医学的にひもどく記事を、精神疾患の患者・家族向け月刊誌で連載している。発行元のNPO法人地域精神保健福祉機構・コンポ(千葉市)の丹波大輔さんは「うつに比べて双極性障害の情報は少なく、患者が専門医や薬に関する正しい知識を得るのが難しい。最新の医学情報を分かりやすく提供したい」と話す。
例えば最近注目されているのは、双極性II型というタイプの多くが、うつ病と診断されている恐れがあることだ。躁状態が比較的軽いため本人も気づかず見逃されやすい。双極性障害の患者がうつ病治療薬を飲み続けると、かえって躁状態をひき起こしたり、躁とうつを繰り返しやすくなったりする問題がある。
寺沢さんは今年10月、職場復帰。再発予防の薬を飲みながら、自分を客観的に見つめる努力をしている。「寝なくても大丈夫、なんて考えるようになったら、僕の婆合は危ないサイン」。「頑張りすぎない」ことも心がけている。
コンポが発行する月刊誌「こころの元気+(プラス)」定期購読のみ。申し込みはホームページ(http://comhbo.net/)問い合わせは電話(047・322・1360)で。『医療』
○解説○ 双極性障害(躁うつ病): 自分でコントロールできないほどの烈しい躁状態と、生きているのがつらいほどのうつ状態を繰り返す。日本人の約170人に一人がこの病気になるといい、15人に一人のうつ病に比べるとかなり少ない。
憂うつ感、睡眠障害、疲労感、「死にたい」と思う気持などが2週間以上続くうつ状態の経験があり、、皿に、(1)気分が良すぎたり、ハイになったり、怒りっぽくなったりする(2)自分がえらくなったように感じる(3)いつもよりおしゃべりになる(4)色々の考えが次々と浮かぶ(5)注意がそれやすくなる(6)じっとしていられなくなる(7)浪費など自分が楽しいことに熱中してしまう----の症状のうち、(1)を含む四つ以上に当てはまると、双極性障害と診断される。 薬は生涯にわたることも多い。日本うつ病学会双極性障害委員会は「止めると再発する可能性が高いので、2週間から3カ月に一度は診察を受け、処方された薬をきちんと飲んでほしい」と呼びかける。
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コメント
はじめまして。
人間が生きて行く途上で、様々な試練や悩みがあります。
最近、「死にたい」という若者が急増しているように感じます。
人は一体、何のために生きているのでしょうか。
人はどこから来て
何のために、勉強し、働き、生きて
どこへ向かっているのでしょうか。
なぜ、人は孤独なのでしょうか。
愛とは何か、生きる意味、死とは何かなどのことについて、ブログで分かりやすく聖書から福音を書き綴って来ました。
ひまなときにご訪問下さい。
http://blog.goo.ne.jp/goo1639/
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(聖書)
★私のブログから:「生きる目的は一体何か」
http://blog.goo.ne.jp/goo1639/m/200705
「人生の目的と意味は何か」:
http://blog.goo.ne.jp/goo1639/d/20060519
投稿: GEORGE | 2008年11月10日 (月) 16時51分